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福岡高等裁判所 昭和56年(う)584号 判決

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

当審における未決勾留日数のうち各二〇〇日を被告人両名に対する原判決の各刑にそれぞれ算入する。

理由

〈前略〉

徳永賢一弁護人及び植田正男弁護人(被告人李堯夫関係)、並びに石川四男美弁護人(被告人秋吉誠也関係)の各控訴趣意中事実誤認及び法令の解釈適用の誤りの各論旨について

右各所論はいずれも要するに、原判決第一の事実につき、被告人両名は中野利秋(以下、「中野」という。)に対し殺意を抱いたことはなく、また、同人を殺害すべく暗黙のうちに共謀したこともない。更に、被告人両名の本件各所為は正当防衛行為である。しかるに、原判決が被告人両名は中野を殺害すべく暗黙のうちに共謀したものと認定し、正当防衛行為、就中相手の急迫不正の侵害及び被告人両名の防衛意思の存在をいずれも否定したのは事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄されるべきであると主張し、なお、石川弁護人の所論によれば、原判決は右の誤認により法令の適用を誤つたものであるとし、

また、徳永及び植田両弁護人の所論によれば、刑法三六条にいう「急迫」とは法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫つていることを意味し、その侵害があらかじめ予期されていたものであるとしても、そのことから直ちに急迫性を失うものではない。しかるに、原判示第一の事実について、中野の第一発目の拳銃発射は、いわゆる喧嘩闘争の一場面における先制攻撃として、被告人らにおいて十分予測されたところであるから、これを急迫不正の侵害にあたらないとした原判決は、刑法の解釈適用を誤つたものである、というのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判示第一の事実は優に認められ、とりわけ被告人両名に中野に対する殺意並びにその実行における共謀の事実が存したこと、更に、被告人両名の原判示第一の各所為に正当防衛の要件たる侵害の急迫性が欠如していたことは否定できない。すなわち、

右関係証拠によれば、被告人李は昭和五五年八月ころから暴力団浜田会内浜田組の組員にして、同組内巴組の組長であり、被告人秋吉は昭和五五年八月ころから右浜田組組員であり、中野は昭和四六年ころから暴力団中野一家の組長であること、

被告人李は、原判示の犯行に至る経緯のもとに、昭和五五年九月二四日午前五時四五分ころ同被告人方で、中野と賭博を続けていたが、同人から賭け金が少ないと因縁をつけられ、同人と口論となり、殴りかかつてきた同人を振り回したところ、同人は仰向けに転倒するに至つたが直ぐに立ち上がり、いきなり護身用に携帯していたライターのような形態をしたステンレス製小型拳銃一丁(当庁昭和五七年押第一号の六。縦約10.6センチメートル、横約3.3センチメートル、厚約1.1センチメートルの直方体の先端の横約3.3センチメートル、厚約1.1センチメートルの面に二個の銃口が施されているもの。)を取り出して、被告人李に向けて構えたこと、

被告人李は、居合わせた配下に「道具を持つてこい」と命じ、これに従い脇差(右押号の一)を抜き身で持つてきた配下の佐伯に対し、「行け」と怒鳴り、機先を制し中野に切りつけるよう指示したが、右佐伯が尻込みして向かつて行かないのを見るや、同人から右脇差を取り上げ、自己の前で中野に立ちはだかつていた配下の佐伯及び塚本を押しのけ、抜き身の右脇差を中段に構えて中野と相対したこと、

被告人秋吉は、用心のため所携せる全長12.1センチメートルの米国製口径0.22インチスターリング自動装填式拳銃一丁(右押号の二)の安全装置をはずし撃鉄を起こすと同時に右手人差指を引金にかけ、いつでも発射できるようにし、これを中野に向けて構え、被告人李や同被告人の配下数名とともに中野の前面に約二メートルの間隔を置いて並んで立ち向つたこと、

かかる状況に直面し、中野は被告人秋吉に対し「お前、撃ちきるとか。」と申し向け、被告人李もこれを聞いて、被告人秋吉が拳銃一丁を中野に向けて構えていたことを知つたこと、

これからやや間をおいて、中野が被告人李に向けて所携の前記拳銃を一回発射したが、誰にもあたらなかつたこと、

そのころ被告人李は、売られた喧嘩は買わねばならぬ、やくざの喧嘩は命を取るか取られるかであるから、たとえ刺し交えても中野を殺害しようと決意したこと、

次いで、中野がその拳銃の筒先を対峙していた被告人両名他数名に向けながら、順次左右に動かした後、被告人李に向けて狙いをつけたのを見るや、被告人秋吉は約二メートル離れて立ち向つていた中野の身体の枢要部(胸腹部等)を狙つて、所携の前記拳銃を一回発射し、その左大腿上部に命中させ、これにより左大腿骨骨折等の傷害を受けた中野が思わず「あいた」という声を発し、よろめきながら自己の拳銃を一回発射したが、この時、被告人李において、中野のもとに飛び込みざま前記脇差を同人の正面から同人めがけて力一杯振りおろし、右腕をかざしてこれを防ごうとした同人の右前腕に切りつけて、殆どこれを切り落し、更に切り込んで、既に拳銃を取り落していた同人の左親指を殆ど切断した後、とどめを刺すべくその場に倒れ込んだ同人の喉元に、右脇差を切つ先を突きつけて突き刺そうとしたが、同人から「この喧嘩負けた。この喧嘩俺の負け。待つてくれ。」と命乞いをされたため、以後の攻撃を中止し、因つて同人に対し原判示の傷害を負わせたことにとどまり、殺害の目的を遂げなかつたこと

以上の事実を認めることができる。しかして、右の各事実を総合すると、被告人秋吉が中野の身体の枢要部を狙つて前記拳銃を発射した際、これが優に人を殺害するにたる所為であることを考えると、殺意を有していたことは否定できず、また同被告人と、前叙のとおり中野に対し殺意を以て斬りつけた被告人李は、数名の前示配下とともに前記拳銃を構えた中野と対峙したときに、単なる防衛の意思のみに止らずこの機に乗じ、機先を制して積極的に中野を殺害する意思で対抗し、右現場で互いに暗黙のうちに共謀せる事実を肯認するに十分である。

なお、被告人秋吉の前記拳銃の発射が一回だけであつたことは、所論の指摘するとおりであるけれども、しかし、右事実は何ら同被告人の殺意の存在と両立しえないものではない。のみならず、右発射直後、被告人李が脇差を振るつて、中野の右前腕を殆ど切り落すなどしてその攻撃力を失わせたので、被告人秋吉において拳銃発射の必要性は消滅したものである。したがつて、所論指摘の事実により被告人秋吉の殺意や被告人両名の殺害共謀を否定することはできない。また、被告人秋吉の司法巡査に対する昭和五五年九月二六日付、同月二九日付、同年一〇月六日付、同月一三日付各供述調書、同被告人の検察官に対する同月三日付、同月一四日付各供述調書、被告人両名の原審及び当審及び当審公判廷における各供述中右認定に反する部分は、中野が既に被告人李に向け拳銃を発射した後の段階において、中野に対し単なる威嚇射撃をすることはおよそ考えられないのに、単に威嚇の意味で右拳銃を発射したと供述するなどいずれも不自然さが目立ち、前記の如く関係証拠に現われた客観的諸状況とも整合せず、到底信用することができない。

しかして、右のように被告人両名が単に予期された侵害を避けなかつたというにとどまらず、その機会を利用し機先を制して積極的に相手に対して加害行為をする意思で対抗するときは、もはや法秩序に反し、これに対し権利保護の必要性を認めえないから刑法三六条にいわゆる侵害の急迫性の要件を充たさないものと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷昭和五二年七月二一日決定、刑集三一巻四号七四七頁参照)。したがつて、中野の前記攻撃は不正の侵害というべきであつても、急迫性はなかつたものといわなければならない。そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被告人両名の本件各所為は正当防衛行為にあたらないことが明らかである。

尤も、刑法三六条にいう「急迫」とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫つていることを意味し、その侵害があらかじめ予期されていたものであつても、そのことだけから直ちに急迫性を失うものと解すべきではない(最高裁判所第三小法廷昭和四六年一一月一六日判決、刑集二五巻八号九九六頁、同裁判所第一小法廷昭和五二年七月二一日決定、刑集三一巻四号七四七頁参照)。

しかるに原判決は、原審弁護人の「被告人らの中野に対する各所為は同人が先に拳銃を被告人らに発射した急迫不正の侵害に対する正当防衛行為である旨」の主張に対して、「中野の第一発目の拳銃発射は、いわゆる喧嘩闘争の一場面における先制攻撃として被告人らにおいて十分に予測されたところであり、これを目して急迫不正の侵害にあたるものとは認めがたい」と判示していることは所論の指摘するとおりである。

また、職権をもつて調査するに、原判決は防衛の意思の存否についても、「本件を全体的にみるときは、右はいわゆる喧嘩闘争の一場面で、専ら自己又は他人の生命、身体を防衛する意思をもつてなされたものとは認め難い。」と判示し、正当防衛における防衛意思を専ら防衛の意図のみで行つた場合に限定する見解を前提としていることが認められる。しかしながら、防衛の意思と攻撃の意思とが併存する行為においても、正当防衛の要件たる防衛意思を欠くものではないと解すべきであつて、防衛の意思を原判示のように限定して解するのは相当ではない(最高裁判所第三小法廷昭和五〇年一一月二八日判決、刑集二九巻一〇号九八三頁参照)。

したがつて、原判決は右の二点において刑法三六条の解釈を誤つたものというべきであるが、前叙のとおり、被告人両名の本件各所為については刑法三六条における侵害の急迫性の要件を欠くものであつて、結局において正当防衛の成立は否定さるべきであるから、被告人らの各所為について正当防衛の成立を否定した原判決の判断は、結論において正当である。

そうすると、原判決の右の法令解釈の誤りはいまだ判決に影響を及ぼすものではない。

(平田勝雅 吉永忠 池田憲義)

《参考・第一審判決理由抄》

(福岡地裁昭56.10.16判決)

[理由]

(犯行に至る経緯等)

一 被告人李堯夫は、暴力団浜田会浜田組の組員であるが、自らも浜田組内巴組を名乗り、肩書き住居を事務所に兼用し、現在に至つている者である。

被告人秋吉誠也は、昭和五五年八月から前記浜田組組員となり、現在に至つている者である。

二 被告人李は、昭和五五年九月二三日夜、前記住居において、前記巴組を名乗ることの披露を兼ねた賭博(御披露目盆)を開くことにして、本件の被害者である中野利秋(当時四三歳)をはじめ多数の関係者(賭博客)にその旨の案内や連絡をした。そして、当日の賭博場の手伝方を浜田組本家に求めたところ、被告人秋吉が浜田組組員数名とともに被告人李方に来た。

三 被告人李は、御披露目盆開催日の九月二三日、昼過ぎから前記住居で準備を整え、手伝いに来た被告人秋吉らと共々、来客を待つたが、誰も訪れないまま同日を経過した。

被告人李は、右のような事情なので、手伝いに来ていた浜田組組員一、二名を引揚げてもらい、無為に過ごしていたところ、翌二四日午前三時ころ、前記中野利秋が被告人方を訪れた。しかし、賭博客が一名もいないことから、被告人李と中野が差しで「タブサイ賭博」をすることになつた。

ところが賭博が始まつて間もなく、中野は持参した所持金五〇余万円を負け、さらに内妻に持つてこさせた現金百数十万円をも負け、以後は賭け金を貸借の形(通称ぼた)で賭博を続けたが、結局は被告人李に対して三〇〇万円ぐらいの借りをつくつてしまつた。

こうした状況のもとで、興奮した中野がいらだち、被告人李や当日手伝いに来ていた浜田組組員らにも当たり散らし、被告人らは、中野の右態度を不快に思うとともに、中野が喧嘩を売つてくるのではないかと用心した。

(罪となるべき事実)

第一 被告人李堯夫は、昭和五五年九月二四日午前五時四五分ころ、前記状況のもとで前記中野利秋と賭博を続けていたところ、同人から、賭け金が少ないと因縁をつけられ、同人と口論となり、殴りかかつてきた同人を振りまわしたところ、仰向けに転倒した同人が、立ち上がると直ぐに、護身用に携帯していた拳銃一丁(昭和五六年押第二二四号の六)を手に持つて、被告人李に向けて右手に構えた。被告人李は、輩下の者に、「道具を持つて来い。」と命じ、脇差(押同号の一)を抜き身で持つて来た輩下の者に、「行け」と、中野に向かつて行くよう指示したが、尻込みして、向かつて行かないのを見ると、同人(輩下)から右脇差を取りあげて、抜き身のまま右手で中段に構えて中野に相対した。一方、被告人秋吉は、被告人李のすぐ近くにいて、かねて所携の拳銃一丁(押同号の二)を中野に向け、安全装置をはずして構え、他の輩下組員らもこれに呼応して中野を取り囲み、互いに約二メートルの間隔をおいて相対峙した。そのすぐあと、中野が被告人秋吉に対し、「お前、撃ちきるとか。」と言い、同被告人が、依然として拳銃を構えたまま黙つていると、やや間をおいて、中野が、被告人李に向けて自己の拳銃を一回発射した。ここにおいて情勢は一挙に緊迫し、中野の右所為に激昂した被告人両名は、とつさに中野を殺害すべく暗黙のうちに意思を相通じ、ここに共謀のうえ、被告人秋吉において、中野に向かつて前記拳銃(自動装填式、実包六発装填中)(押同号の二)を一回発射し、同人の左大腿部に命中させ、これに対して中野が、よろめきながら自己の前記拳銃を一回発射(二発目)するや、被告人李において、同人のもとに飛び込みざま所携の前記脇差(押同号の一)を、同人の正面から、同人に向けて力いつぱい振りおろし、右腕をかざしてこれを防ごうとした同人の右手首付近に切りつけ、さらに切り込んで同人の左拇指を切断したのち、とどめを刺すべく、倒れ込んだ同人の喉元に右脇差の切つ先を突きつけて突き刺そうとしたが、同人から命乞いをされたため以後の攻撃を中止し、よつて同人に対し加療約三月間を要する左大腿部銃創、左大腿骨骨折、右前腕骨折断、右前腕伸筋群切断、左拇指切断及び第四指、第五指に知覚障害の後遺症を伴う右尺骨神経断裂の傷害を負わせたにとどまり殺害の目的を遂げなかつた、

第二 被告人秋吉誠也は、法定の除外事由がないのに、前記日時、場所において、前記拳銃一丁(押同号の二)及び同実包五発(押同号の三及び前記博多銃砲店こと内藤晴之において保管中の拳銃実包二発(福岡地方検察庁昭和五六年庁外領第九七号)は、その一部である。)を所持した、

ものである。

(弁護人の主張に対する判断)

正当防衛の主張について

一 弁護人は、「被告人両名の、中野利秋に対する各所為は、中野が先に拳銃を被告人らに発射した急迫不正の侵害に対し、被告人らは、自分自身及びその場に居合わせた他の者の生命、身体を防衛するため、己むことを得ざるに出でたる行為で、刑法三六条一項所定の正当防衛行為であるから、その違法性を阻却し、罪とならないものである。」と主張する。

二 当裁判所の判断

まず、急迫不正の侵害の存否につき検討するに、前示認定の事実及び前掲諸証拠によれば、本件は、賭博のことから発展し、被告人李は抜身の脇差を構え、被告人秋吉は拳銃を構え、他の手伝い組員三、四名と共に中野を取り囲み、一方、中野も拳銃を構えて、相対峙したもので、この段階においては、勢力的には被告人らの方が勝り、被告人李としては、売られた喧嘩は買わねばならず、輩下の者の前で、敵に後ろを見せるわけにもいかず、自ら脇差を構えて、中野と相討ちをも辞さないと決意し、被告人秋吉も拳銃の安全装置をはずして引き金に指をかけて中野に向けて構え、いつでも応戦できる態勢にあつたものであつて、両者は、武器を構えて相対峙し、いわゆる喧嘩闘争の一場面を呈していたものと言うべきである。従つて、被告人両名とも、中野からの攻撃があることを予測し、その場合は直ちに応戦できるように構えていたものである。そして、そのあと、中野から先制して拳銃を発射されるや、即座に同人に攻撃を加えたものである。以上一連の経過にかんがみると、中野の第一発目の拳銃発射は、いわゆる喧嘩闘争の一場面における先制攻撃として被告人らにおいて十分に予測されたところであり、これを急迫不正の侵害にあたるものとは認め難い。

なお、次いで、防衛の意思の存否についても検討してみるに、前記認定の状況下における被告人両名の本件所為は、その場面のみをみると、中野の拳銃発射(第一発目)後になされたものであるので、一見防衛的にも見えるが、本件を全体的にみるときは、右はいわゆる喧嘩闘争の一場面で、専ら自己又は他人の生命、身体を防衛する意思をもつてなされたものとは認め難い。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被告人両名の本件所為は正当防衛行為にあたらないので、弁護人の主張は採用できない。

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